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2011年3月15日火曜日

国民と市民

東北の大地震,とりわけ関心が高いのは,福島原発の事件でしょうか.関係者方の努力には本当に頭が下がる思いです.


さてそのことに関して,日経ビジネス2011.1.3に良いことが書いてあったので,かいつまんで引用.

田原総一郎 [ジャーナリスト]
日本復活への選択肢示せ

--引用ここから--

ギリシャが危機だと言われますが,ギリシャの政府債務はGDP比140%です.日本は180%に達しています.
こんなでたらめな予算を健全な形に変えなければ行けません.それには,歳入を増やすか,歳出を減らすしか方法はない.

しかし「国民」はそのどちらもが嫌だと言います.国会議員も「国民」が怖いから,そのどちらも言い出せない.そんなことを言ったら選挙に負けると思っているのです.

「国民」の顔はエゴイストなんです.その一方で,誰でも「市民」という顔も持っています.「市民」となると,主体的に責任を感じる.何とかしなければならない,と思うのです.

「国民」は誰も,日本国が夕張市のように破綻することになるとは思っていません.その「国民」を「市民」に変えることこそが,日本を破綻の淵から救うために最も重要な点だと思います.

「国民」に徹底的にデータを示すことで,「市民」として選択させる.それが日本を救う第一歩だと思います.

--引用ここまで--


福島原発に関しては,
「ほら見たことか(だから原発は撤退だ)」
「放射能にさらされる住民がかわいそう」

「想定外の想定外は想定できない」
「想定以上の被害の割には頑張っている」
「いや関係者はベストを尽くしている」
という感情論ばかりが飛び交っている様に感じる.
ただし,これは単なる批判であって議論ではない.世の中すべてが理想的に収まることはあり得ない.原発の是非の話にしても,原発は悪かもしれないけれど,それに替わる技術が無い.安価で安全で環境に優しい大容量の発電技術は存在しない.理想論は百も承知で現実的な解が原発だろう.しかし,原発のリスクが高いことも事実だろう.今回の事件は今後の原子力政策に大きな問題を突きつけたと思う.
しかし飛び交っているのは感情論ばかりである.感情論は物事を先へ進めないし,時には誤った方向へ我々を導いてしまう.我々は,「国民」として無い物ねだりをするのではなく,「市民」として,当事者として,論理的に議論をしなければならないと思う.

2010年11月6日土曜日

情報取得の自由の始まり

【尖閣ビデオ流出問題】民主・川内議員「情報管理が問われる」自民・衛藤議員「何ら問題ない映像。公開すべき」

尖閣諸島沖で中国漁船が海保の巡視艇に衝突した映像がYouTubeにでまわり国内で大きな反響を受けている.
この衝突の是非や部外秘映像の公開の是非自体も興味があるが,今回は川内博史衆院議員の「情報の公開と流出は百八十度違う」という言葉に対して感じたことを述べてみる.

国家が自身のいいように情報を統制するのは古くから当たり前で,それによって国民が平和に暮らしたり,もしくは逆に戦争が起きたり悲劇が起きてきたけれど,近年のITの発達によってそれすら困難になってきている.
尖閣渋谷2600人デモとかも,国内メディアは放映しなくても国外メディアが放映するとそれはインターネット越しに容易に情報を収集できる時代になってきているし,そうでなくても国内の誰かが情報をインターネットにアップロードするとその取得は容易になった.
昔ならば敵国のラジオ等をこっそり聞くしかなかった国民は,インターネットの発達によって調べる意志さえあれば容易に情報を得ることができる時代になったと感じた.

国家もメディアも,自身のいいように国民をだまし通すことが難しくなった.ITの発達によって情報の取得の制限が取り払われつつある.本当の意味での自由な社会がいま現れようとしているのかもしれない.

国家公務員法違反とかいろいろ言われるのだろうけれど,この事件は一種の鏑矢になるのかもしれない.